2020年11月30日

妖怪化した精霊の智恵の神・根源神としての復活

アニミズムにおいて、人間に対して中立的な自然の諸力の表現だった「精霊」は、国家的な宗教の成立とともに、「妖怪」、「悪鬼」の類とされるようになりました。

ですが、中世インドのタントリズムや日本の一部では、こういった存在が二元論を超えた智恵をもたらす存在や根源神として見直られて、重要な尊格に昇格しました。

我々は、「妖怪」に対する夢見的な瞑想によって、自然な「精霊」の創造性を取り戻して、智恵を得ることができます。


<アニミズムの精霊信仰>

人間の原初的な信仰の形である「アニミズム」は、人間が最も長い時間を生きた世界観であり、人間の心の構造が正直に反映された世界観だと思います。

「アニミズム」では、霊魂があらゆる自然に宿ると考えます。
自然に宿る霊魂は、一般に「精霊(スピリット、タマ、マナ…)」と呼ばれます。

基本的に、「精霊」は、人間に対して中立な存在であり、善悪を決められない存在です。
「精霊」は、創造的であると同時に破壊的にもなります。

アニミズムの世界観では、「精霊」の本来の住処である「見えない世界(霊界、冥界、常世、根の国…)」は、「目に見える世界(地上世界、現し世…)」に対して基盤となる、創造力に溢れた世界です。
2つの世界は言葉の上では二元的ですが、その関係は二元論ではなく、地上世界は冥界の限定した姿であって、冥界は常に現世と密着して包み込むような関係です。

「精霊」の本質は、自然の目に見えない力であって、通常は、直感や雰囲気としてしか感じられない存在です。
それらは本来、人格を超えて、イメージを超えて動く力です。

ですが、人格やイメージ(姿形)を持った存在として人間に現れる(人間が受けとめる)こともあります。

「精霊」のイメージは、必ずしも定まったものではなく、複数の変容するイメージの運動として現れます。
言葉を通したコミュニケーションも行いますが、その言葉は象徴的で超論理的です。


「精霊」に中に、「グレート・スピリット」などと呼ばれる、至高の特別な存在がいます。

一般の「精霊」が、時にイメージを持ち人格性を現すのに対して、「グレート・スピリット」はそれらを持ちません。

「グレート・スピリット」は、原初的存在で、「精霊」を生み、そして、万物に内在して、それを生かす存在です。
そして、法の制定者、つまり、秩序の守護者とされます。

ですが、具体的な世界や文化の創造者とはされなかったり、人間とあまり関係を持たない存在とされたりすることもあります。


「アニミズム」の霊的存在者は、このように、「グレート・スピリット」と多数の「精霊」からなります。
どちらも、「神」と呼ばれる存在ではありません。

「グレート・スピリット」と「精霊」の関係は、一即多の関係で、「グレート・スピリット」は「精霊」を完全に超越したり統合する存在ではありません。


<成立宗教による妖怪化>

人間の原初的な世界観である「アニミズム」は、非定住の狩猟文化で生まれました。
ですが、その後、人間の文化は、定住革命、農業(牧畜)革命、王国革命といった諸革命を経て変化してきました。

諸革命の過程で、多神教が生まれ、さらに一神教が生まれました。
そして、少なくとも、王国革命に至るまでに、人間社会を導く秩序と正義の神々のヒエラルキーが構成されました。

その過程で、「アニミズム」は表面的には消えましたが、変形した形で残存しました

「グレート・スピリット」は、天の秩序の神である「高神」となりました。
中立的な自然の諸力の人格だった「精霊」達は、その一部は、地の豊穣神や、来訪する豊穣神などになりました。
そして、そこから外れた「精霊」達は、「妖怪」、「悪鬼」とされました。

密着していた「見えない世界」と「見える世界」は、分離的したものになって、「天上世界」と「地下世界(遠方の世界)」は、本質的に異なる世界となりました。

ですが、「高神」は死して(冥界に降り)復活することもある神です。
そして、豊穣神となった「精霊」達にも暗黒面がありました。
また、「妖怪(悪鬼)」となった下級の「精霊」達にも、豊穣面がありました。

つまり、彼らには、まだ、一定の両義性を持っていました。

ですが、一神教の誕生によって、「高神」は、他の神々を完全に排除、もしくは、統制する「唯一神」となり、豊穣神や「妖怪(悪鬼)」からは両義性はなくなりました。

キリスト教のような一神教は、異教の神々や、守護霊(例えば、ギリシャのダイモン)も「悪魔(デーモン)」と見なすようになりました。


このように、中立的だった「精霊」は、二元論的な「悪鬼」的存在として抑圧されたのです。


<タントリズムによる妖怪の智恵の最高尊格への昇格>

インド中世に興ったタントリズムは、アウトカースト(インド先住民)のアニミズム的な宗教、特に墓場の魔術的宗教を、仏教やヒンドゥー教が取り込んで生まれました。

これら原住民の宗教の神霊は、支配的で正当な仏教やヒンドゥー教からは、「悪鬼(鬼神)」と見なされていた存在です。
こういった神には、暗黒性・魔性と豊穣性という両義性を備えていました。

大乗仏教は、各地の神霊を、護法尊として取り込んできましたが、密教、特に後期密教の時代になると、「悪鬼」を出自とする尊格が重視されて、仏教内の位階を出世していきました。
そして、最終的には、「本初仏」や「守護尊」といった最高レベルの位階にまで達する尊格が生まれました。

密教では、「悪鬼」と見なされていた神霊達を、仏教の教義によって昇華しました。
彼らは、「精霊」本来の善悪、聖俗などの「二元論」を超えた存在として、悟りへ導く霊的智恵を持つ存在として捉え直されたのです。

精霊的鬼神である夜叉から、護法尊となり、さらに仏・菩薩の化身でもある守護尊へと出世した尊格がいくつかあります。

例えば、夜叉の王で、護衛役だったはずの執金剛神は、金剛手として菩薩に出世し、さらに、金剛薩埵や持金剛になって、根源神である「本初仏」にまで昇格しました。

また、ダキニ(荼枳尼天)は、もともとドラヴィダ系の地母神系豊穣女神で、人間の死肉を喰う悪鬼の類とみなされるようになっていました。
ヒンドゥー教では、シヴァの妃の暗黒相であるカーリーの眷属とされました。

仏教ではヒンドゥー・タントリズムのシャクティに相当する存在、つまり、動的女性原理として普遍化されました。
特にチベットでは、自我や言葉の煩悩から開放する智恵の守護者として重視されました。

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また、この広義のダキニに含まれるヴァジュラ・バーラーヒー(金剛亥母)は、その精霊的な猪豚の姿形を残したまま、最高レベルの女尊である「守護女尊」になりました。


<日本の中世の場合>

日本の中世でも、インドと似た宗教運動がありました。

日本に伝来したダキニ天(荼枳尼天)は、当初は死体を喰う悪鬼でしたが、稲荷信仰の宇賀神(蛇体の宇賀弁才天)と習合し、霊狐に乗った天女の姿でも描かれるようになりました。
そして、天照大御神の変化身とされ、天皇の即位潅頂の隠れた本尊にまでなりました。

密教とは無関係な潮流もありましたが、その根源には、おそらく、中部地方を中心に信仰される縄文以来の精霊的神格である「シャグジ(ミシャグジ)」があります。
これは、「嬰児神」、「胞衣神」、「丸石(石棒)神」などの性質を持つ神で、「地主神」、「道祖神」、「樹の神」とも習合しました。
日本の中世を代表する謎の多き神である「荒神」や「宿神」は、この「シャグジ」を背景とする、あるいは、「シャグジ」と習合した神です。

「荒神」は、仏教の文脈では、障礙神の「毘那夜伽」や、それと同体で護法神の「聖天」、忿怒尊などが習合し、神道の文脈では、地主神、山の神、樹木神、道祖神、蛇体の宇賀神などが習合した複雑な神格です。
ですが、この神は、「荒神縁起」では根源神にまで高められました。

「宿神」は、猿楽などの芸能者の神であり、秦氏の祖神の秦河勝でもあり、「荒神」とも習合しました。
猿楽師の金春禅竹は、この神を猿楽の「翁」であるとし、万物の根源神にして内在神にまで高めました。

以上のように、日本の中世では、「精霊」、「悪鬼」的な古い神霊を含めて、様々な神格が複雑に習合する中で、それらが根源神にまで高められることがあったのです。


<心理的に妖怪を開放して智恵にする方法>

単純化していうと、「精霊」が抑圧された存在が「妖怪」です。
心理的に、「妖怪」を自由で開放された「精霊」に戻し、そこから智恵を得る方法があります。

普遍化して言うと、抑圧されたイメージや象徴の力を解放する方法です。
フォーカシング指向心理療法の「フォーカシング」や、プロセス指向心理療法の「プロセス・ワーク」の方法がこれに当たります。

簡単に述べると、「妖怪」のイメージ、フィーリングに集中し、そのイメージが変化、成長し、物語が展開するままにします。

あるいは、そのイメージの本質である直観的・直感的なものに遡り、再度、新たなイメージとして展開します。
イメージを擬死再生させる儀礼です。

この作業は、一定期間の繰り返しが必要です。
これを行っているうちに、イメージや物語が徐々に肯定的なものに変化してきます。

この時に、「妖怪」を作り出している自我の部分を、否定して開放する必要があります。
つまり、自分自身も擬死再生することになります。

*フォーカシングについては姉妹サイトの「ユージン・ジェンドリンのフォーカシング」を参照してください。

*プロセス指向心理学については姉妹サイトの「プロセス指向心理療法のワーク」を参照してください。
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2020年11月27日

ヒーラーであり三界を巡る智者である水神と龍蛇神

このページでは、天地を循環する水の性質から、水神の属性について考え、その表現形態である龍蛇神についてもまとめます。

水神は、三界を循環する存在なので、三界の智恵を持ちます。
その過程で、生物を成長させ、救いながら、自身が死して復活します。

ここには、シャーマンとも共通する側面もあります。


<三界の循環と復活>

水は、大地や海から蒸発して天に昇り、雲となり、雨となって天から地に下降し、山から川、地下水となって海に流れる、というように天地を循環します。

伝統文化の信仰では、水や水に関わる存在は、虹となって上昇したり、月に蓄えられたり、稲妻として下降する、と考えられることもありました。

大地・海→水蒸気(虹)→雲・月→雨(稲妻)→大地(山)→川(地下水)→海

この循環の過程で、水は天空、地上、地下(海)の三界を巡ります。

古代から世界的に、三界を知る存在は智者とされます。
シャーマンもそうです。
つまり、水神は、三界を知る「智恵」の神であり、三界をつなぐ「媒介(伝達)」の神です。

例えば、シュメールの水神エンキは、智恵の神でもあり、人間に情報を伝えて洪水から救いました。

また、水は、地上を流れる過程で、生命を育み、汚れを落とします。
つまり、水神は、「生命の水」、「豊穣」の神であって、「浄化(祓い)」の神です。

例えば、大祓詞で唱えられる瀬織津姫は、祓いの女神、川(水)の女神です。

これは、豊穣のために尽くし、治療という浄化を行う点では、シャーマンと同じです。

このように、水は、天空から地上に下り、生物を助け、地下(冥界)に下り、また、天に上昇します。
これは、「救世主」であり、「死して復活(昇天)する神」です。

キリストとも似ています。
シャーマンのトランスも、擬死再生として捉えられることもあります。

ですが、水神には、大雨や洪水となるという否定的側面もあります。
中東から西洋にかけての竜(ドラゴン)には、こういう破壊神、混沌神としての側面が強くあります。


循環する水としての水神は、雨神、川神、海神、井戸水神、泉の神、湖の神、水分神(みくまりのかみ)と関係が深く、これらは広義の循環する水神です。
また、嵐神、雷神、月神も、循環する水神と関連する神です。

水神には、「原初の水」、つまり、原初存在としての側面があります。
シュメールのナンム、エジプトのヌン、インド・イランのヴァルナ(水天)などです。
ですが、これは、循環する存在としての水神とは別の属性であり、別の神と考えることもできます。
海神や井戸水神などは、こちらの水神の一種と考えることもできます。


<循環する水神としてのスサノオ>

記紀神話のスサノオ(須佐之男命、素戔嗚尊)には、多様な属性がありますが、循環する水神としての側面が強くあります。
この側面から、つまり、循環する水の性質が反映している可能性がある部分を、列記して解釈してみましょう。

スサノオはイザナギが鼻を洗った時に生まれました。
これは、目を洗って生まれたアマテラス=太陽、ツクヨミ=月に対して、水(鼻水)、及び、風(鼻息)を表します。

スサノオは海原を治めるように言われますが、母のもとに行きたいと、青山が枯山になって河と海が乾くほどに泣いて、その後、高天原に上ります。

これは、海の水などが蒸発して乾季(冬)になることを表します。
泣き枯らすというのは不思議な表現ですが、天にいる月神や雷神が泣くと降雨となりますが、海や地上にいる神が泣くと水が水蒸気となって蒸発するので乾くのでしょう。

スサノオは、高天原で田とアマテラスに対する暴力的行為を行って、天の岩屋戸にこもらせてしまいます。
これは、大雨が田を壊し、雲が太陽を隠すこと、あるいは、冬の乾季には水蒸気が天に昇ったままで太陽を弱られると考えられたことを表します。

この罪によって、スサノオは、髪を抜かれ、手足の爪を抜かれて追放され、出雲に降ります。
これは、雨季(梅雨)に恵みの雨となって地上に下ることを表します。
「八雲立つ」出雲は、水が豊かに循環する地を表します。

スサノオは、出雲でヤマタノオロチを退治してクシイナダヒメと結婚します。
これは、氾濫して洪水となる川が治水され、田に農水となって流れ込むことを表します。

最後に、スサノオは根の国に行きます。
これは、水が地下に浸透して、地下水となることを表します。

このように、スサノヲには、恵みの水としての豊穣神、救いの神という側面と、大雨、洪水、乾季としての不毛神、破壊神、贖いの神としての側面があります。


<蛇神と龍・竜>

龍(竜)や蛇神は、水神の表現形態でもあります。
ですが、龍神や蛇神は、水神とは異なる属性も持っています。


蛇は、蛇行することなどから水、液体、流体の象徴です。
蛇神は、水神の多くの属性を持ちます。

そのため、蛇神は、天地を循環する存在、地下に潜る存在です。
蛇は首をもたげて虹となって天に上昇し、稲妻となって地上に降ります。
そして、とぐろを巻いては山となり、蛇行して川となります。

水の循環は、世界樹を昇降する蛇としても表現されます。

水の循環は再生(不死)の属性を含みますが、蛇神は、脱皮や冬眠から目覚めるという性質からも、再生の象徴です。

ちなみに、蛇は、天地の昇降だけではなく、身体も昇降します。
インドのタントリズムや、オーストラリア原住民のアボリジニ、中米のマヤでは、下腹部に眠り、身体の中枢を昇降するエネルギー(クンダリニー)を蛇として表現します。

蛇神には、「原初の水」と同様、原初存在としての属性もあります。
尾を噛む円環状の蛇(ウロボロス)は、原初、永遠、円環の象徴です。

また、渦巻状の蛇は、混沌、大地、無意識の象徴です。

ウロボロスは、錬金術が使う象徴でもあり、神智学のマークにもあります。
また、ミトラス教の無限時間神ズルワン神の体には、蛇が巻き付いています。

蛇は、男根の象徴でもあります。
そのため、女性的な存在の創造性を活性化する存在の象徴です。
農耕文化においては、それは天神の属性であり、豊穣の象徴です。


龍は、蛇(蛇神)の延長上の存在であり、国家レベルの宗教でその姿が拡大されたものでしょう。
龍は、大河の氾濫とその国家的統制(治水・灌漑)に関係します。

シュメール以来の中東から西洋では、洪水などの否定的側面が竜(ドラゴン)となり、混沌神、破壊神となりました。
例えば、バビロニアのティアマトなどです。

一方、中国では、治水という肯定的側面から、龍が王権の象徴となりました。
他地域でも、イギリス(ウェールズ)のペンドラゴンのように、王権の象徴となることがあります。
中国の影響で、東洋では、龍は破壊神という属性と共に創造神・豊穣神としての側面を強く持ちます。

ですが、コブラか大蛇が存在する、インド、エジプト、中南米では、蛇の龍化は見られません。

日本では、中国の龍と、中国で龍化したインドの蛇神ナーガが流入しましたが、王権と結びつくことはなく、日本古来のオカミ(龗神)やミズハ(罔象女神)などの水神と結びついたようです。


<智恵の象徴としての蛇>

蛇も、水神と同様に智恵の象徴という属性があります。

蛇の智恵は、本来、地下に潜る、つまり、無意識の智恵であり、復活・創造の智恵であり、それは「生命の水」と同様に不死の智恵です。

旧約聖書でも、エデンの蛇は、人間に智恵(知恵の樹の実)をもたらしますが、これは合理的な知恵であって、不死の智恵(生命の樹の実)とは異なります。

異端のグノーシス主義のオフィス派は、蛇が智恵をもたらす存在として信仰します。
そして、イエスを蛇と一体視し、生命の樹の実をたべさせるべく現れたと考えます。

ギリシャ神話では、竜はリンゴ(生命の樹の実)の守護者です。

また、シャーマン神であるヘルメスが持つ「カドゥケウス(ケーリュケイオン)の杖」は、二匹の蛇がからみあい、翼のついた杖で、伝令や商業の象徴とされますが、本来的意味からすれば、智恵の象徴でもあります。

医神のアスクレピオスが持つ「アスクレピオスの杖」は、一匹の蛇がからむ杖で、医学(ヒーリングの智恵)の象徴です。

近代の高等魔術結社ゴールデンドーンでは、カバラの象徴体系「生命の樹」を昇ることを「智恵の蛇」で表現します。

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2020年11月25日

ヒーラーでありイニシエーションの守護者であるクマ

北米、北東アジアなどの狩猟文化の影響の濃い地域では、クマは特別な動物です。

クマは、人間、もしくは、人間の親戚であり、動物の王であり、戦士であり、シャーマンのようなヒーラーであり、イニシエーションを守護する動物であり、一年の更新に関わる再生の動物であると考えられています。

クマに関する信仰を、北米のネイティブ・アメリカンを中心に紹介します。


<人間としてのクマ>

多くの地域で、クマは人間の親戚のような存在、あるいは、仮に毛皮をまとった人間であると考えられています。

おそらくこれは、クマがときおり二足歩行すること、そして、食性が似ている(木の実、キノコ、果物など人間と似たものを食べることなどから来るのでしょう。

このようにクマを人間に近い存在と考えることは、欧米でテディ・ベアが子供の最初の友人と言われていることとも、無関係ではないでしょう。


<動物の王、戦士としてのクマ>

多くの地域で、クマは、陸上や森の動物の王と見なされます。
無敵の肉食獣でもあるからでしょう。

クマは人間にとっては、襲われることもあれば、狩ることもある動物です。

クマは、戦士としての性質を持っています。
ある部族では、クマの夢を見た者は戦士として優れていると見なされます。
また、ゲルマンのエリート戦士集団のペルセルクは、「クマの戦士」という意味です。


<ヒーラー、シャーマンとしてのクマ>

クマは、薬草の根などを掘り起こして食べることもあるので、薬草に通じたシャーマン的存在と見なされます。
クマは動物界のシャーマン、ヒーラーなのです。

クマの夢を見た者は、ヒーラーとして優れていると見なされる部族もあります。
ヨーロッパでも癒しの動物とされます。
また、クマは何にでも変身できると信じる部族もあります。

部族や個人(クマを守護霊にする)によっては、クマの毛皮を着るシャーマンもいます。

また、ディオニューソスとも同一視されたトラキアの秘儀の司祭ザルモクシスは、「クマの毛皮を着た」という意味です。


<イニシエーションの守護者としてのクマ>

成人などのイニシエーションで、加入者をクマが飲み込み(食べ)、吐き出すという形で、擬死再生儀礼を行う部族が多くあります。

また、イニシエーションに挑む加入者が、クマと見なされることもあります。
ギリシャの成女儀礼であるアルテミスのイニシエーションでも、加入志願者は牝クマと呼ばれました。

これは、クマが動物の王であり、黒く、大きいという性質から来ているのでしょう。

また、クマは冬眠から再生する動物だからでしょう。
イニシエーションの擬死再生儀礼は、クマの冬眠と似ているとも考えられたのです。
そのため、クマの穴のような穴を掘って儀礼に使う部族もあります。

成人イニシエーションと関わりのある神話に、森に置き去りにされて、クマに助けられ、狩りの能力を獲得したといった神話が幅広い地域にあります。

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*イニシエーションの志願者を喰うクマ、トリンギット族の彫り物(クマとアメリカ・インディアンの暮らし)


<クマ結社>

スー族、ラコタ族などには、クマ結社が存在し、クマを「守護霊(パワー・アニマル)」になるとこの結社に入ります。

クマは強い力を持っているので、クマを守護霊にした女性、クマを守護霊にした夫を持つ女性は、危険視されます。
そういった女性は、クマを守護霊とする男性としか、結婚・再婚がしづらくなります。


<クマ狩りとクマ送り>

クマを狩る場合は、他の動物以上に、儀礼的に細心の注意が払われます。
例えば、以下のような具合です。

まず、占いで良い結果が出てから狩りに出かけます。
占いは、単なる成否の判定ではなく、狩りの許しをクマの霊や動物の主に得ることになります。

狩りの道具は、すべて儀式で浄化します。
狩人は、夢に見た刺繍模様を施された服を身に着け、クマを狩った後にはクマにそれをかぶせます。

クマのことは「おじさん」、「おばさん」、「いとこ」といった呼称で呼びます。
相手に聞こえて気づかれないように、といった意味もあるかもしれませんが、親愛なる存在として、その生命を尊重するという側面もあるのでしょう。

クリー族は、銃や矢のような飛び道具は使わず、こん棒か斧でしか殺しません。
つまり、正々堂々とした勝負が必要であるということです。

クマ狩りの時に、他の動物を追うことはできません。
クマが待っているのですから。

クマを狩った後には、クマの姿を褒め称え、やむを得なく狩ったことを説明し、動物の主のもとに戻った時には自分が正しい手順でもてなしたことを伝えてほしいと、語ります。

妻は、住居を綺麗に掃除してクマを迎えます。
狩人は、帰宅しても寡黙を貫きます。

殺したクマは、手順通りに丁寧に解体して、無駄なく食します。
その後、クマの頭蓋骨を木の柱に飾って祀ります。


また、アイヌのイオマンテのように、クマを人間同様に大切に育てて、祭りの日に殺して、冥界の神のもとに送り返す儀礼が、幅広く存在します。
この儀礼が、すべての動物の豊猟を保証するのです。


<クマと新年儀礼>

北米のマンシー族、マヒカン族、デラウェア族は、新年に、クマを殺し、クマを天に返してメッセージを届けさせる儀礼を行います。
この儀礼では、冬眠から復活するクマが、年を更新する重要な存在と見なされています。

この新年儀礼は、冬眠からクマが覚めた後の時期に、新月の夜に始めます。
儀礼を始める前に、儀礼で使うクマ狩りが行われます。

儀式用の小屋には、12の階段のある世界樹を立てます。
この儀礼は、天の12層に合わせて12晩続きます。
クマは初日に世界樹の根元で死に、一晩ごとに12層の天を昇って、最終的にクマは人々のメッセージを創造主に伝えます。

大熊座が天上にいるクマとされ、季節の星の動きも、この儀礼と関係しています。
春には、大熊座が冠座(巣穴)から出てきて、夏には、狩人座が大熊座を追いかけ、秋には、仕留めるのです。


<中南米のジャガーとトウモロコシ>

アジアからアラスカ回りで北米大陸に渡ってきたネイティブ・アメリカンが、米大陸を南下する途中で、クマの信仰はジャガーの信仰に置き換えられました。

オルメカ、マヤ、アステカ、インカの人々は、ジャガーを神としてあがめました。

マヤでは、ジャガーは地下世界の存在であり、地下の太陽と見なされることもありました。
また、太陽が夜にジャガーに手助けをしてもらって地下を潜り抜け、また昇ると考えられることもありました。

アマゾン北部では、ジャガーはシャーマンの味方であり、守護者であると考えられることが多いようです。


また、クマの信仰は、狩猟文化に基づいて始まりましたが、農耕を受け入れた部族では、クマは穀霊(トウモロコシの霊)と習合していきました。
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