2020年11月10日

ライフサイクルと通過儀礼

<ライフサイクルと通過儀礼>

伝統的な文化では、人間(の魂)を大きなライフサイクル(生命循環)の中で考えます。
この世に誕生し、成長して成人し、成熟して長老になり、亡くなってあの世に行き、個性を脱して祖霊(祖神)になり、子孫を見守り、やがて子孫としてこの世に再生する、というサイクルです。

人(の魂)は、このライフサイクルを歩む中で、いくつもの違った身分(人格・神格)を経ていきます。
その身分を変化させる時々に、「通過儀礼(イニシエーション)」を経ます。

分かりやすい例では、成人式や結婚式、葬式などが「通過儀礼」です。

「通過儀礼」の意味は、古い人格(身分・地位)として死に、新しい人格として再生する「擬死再生」です。
その際に、あるいは、その条件として、必要な知識、能力を身に付けます。

「死」の体験は、様々な演劇的演出によってなされることが多くあります。
幻覚性の薬物を利用する場合もあります。


<4つのプロセス>

ライフサイクルは大きく4つのプロセス(期間)に分けることができます。

① 成長のプロセス :誕生→成人:この世での個別化
② 成熟のプロセス :成人→死 :この世での普遍化
③ 祖神化のプロセス:死→祖神 :あの世での普遍化
④ 祖神としての期間:祖神→誕生:あの世からの個別化

③④は、儀礼を主催するこの世の人間の側から見ると、③が供養、④が先祖祭になります。

ライフサイクルは、「この世(①②)」⇔「あの世(③④)」の循環です。

誕生には「受胎→出産」という中間段階があります。
死にも「葬儀→埋葬」という「中有」とか「もがり」と呼ばれる中間段階があります。

また、ライフサイクルは、「普遍化(②③)」⇔「個別化(④①)」という循環でもあります。

人は誕生後、個性化・個別化して、その極である成人に至ります。

成人した人は、個人を超えて、成熟の道を歩みます。
死は普遍化の道であり、死後の魂もその道を歩み、祖神という普遍化の極に至ります。
そして、祖神の分霊として、再度、個人が再誕します。


各プロセスには、細かくいくつものプロセス(身分と通過儀礼)があります。

少し前の日本の例では…

① 成長のプロセス

誕生(受胎→出産)→名付祝→初宮詣→七五三(子供組加入)→十三参り→成人式(若衆組加入)→結婚・就職

この成人になるには、社会的な知識、合理的な智恵、生活力が必要です。


② 成熟のプロセス

隠居→年祝(還暦→古稀→喜寿→傘寿→米寿…)・年寄(長老)

子供が独立すると隠居になりましたが、これは年齢的にはかなり若い時(40才前くらい)、になります。
他にも、念仏講や庚申講に参加したり、受戒を受けたり、死に備えた段階があります。

成熟には、社会的な調停能力、社会的価値観を相対化する視点、利他精神、無意識の創造力の受容が必要です。


③ 祖神化のプロセス

葬儀(死霊化)→埋葬(精霊化)→年忌法要(祖霊化)→弔い上げ(祖神・氏神化) 

祖霊・祖神であれ、浄土に行くホトケであれ、それが普遍的な方向に浄化された魂であることに変わりはありません。
亡くなった人の魂が、悪霊にならずに、この正しい方向に進むようにするのが、葬送と供養の目的です。

水子や幼児の段階で亡くなった場合のように、①②を経ていない魂は、死後に③に進まず、再度、生まれなおすことが望まれます。


④ 祖神の期間

プロセスはありませんが、祖神(祖霊)として子孫を守ります。
祖神(祖霊)は、一般的な氏神の祭り、盆・正月など、定期的にこの世を訪れ、子孫に生命力を与えます。


人はライフサイクルの中で、身分に沿って名前を変えることが一般的でした。
日本人の場合だと、幼名→少年名→家長名→隠居名→戒名・氏神名 といった感じです。
子供には亡くなった祖父母の名を付けることもあります。
独立すると、父から代々の家長としての名を受け継ぎ、父は隠居して祖父から代々の隠居名を受け継ぐ習慣がありました。


<成人儀礼>

成人儀礼の本質は、この世の創造の母体としての他界(=死)と対面して、人格を成長させることでした。

最も原初的な成人儀礼は、洞窟か森の中の儀礼用の小屋で行いました。
洞窟は他界であり、地母神の子宮であり、洞窟から出ることで、新しい人格として再生します。
森も他界であり、小屋は怪物(聖獣)であり、怪物に飲まれ、吐き出されることで再生します。

鯨に飲み込まれたピノキオや、狼に飲み込まれた赤頭巾ちゃんの童話には、原初的な成人式の姿が残っています。
森の中の小屋も、童話の定番です。

他にも、成人儀礼が変形された童話としては、異界に行って、何かを手に入れる(ジャックと豆の木…)とか、何かをやっつける(ヘンデルとグレーテル、一寸法師…)といった形が見られます。

異界に行って戻ることは死と再生の象徴です。
何かを手に入れたり、やっつけたりすることは智恵を獲得する象徴です。

ジブリ作品には成人儀礼の物語が多くあります。
「千と千尋の神隠し」、「となりのトトロ」、「崖の上のポニョ」などは、成女儀礼の物語です。
特に「千と千尋の神隠し」は典型的で、トンネルを通った先の他界の家でグレードマザーと対面し、試練を受ける話です。

部族社会での成人儀礼では、再生時に、その部族の基礎的な宇宙観を教えられます。

多くの場合、知識は神話の伝授として、試練は神話上の英雄の行為の追体験として行われます。
成人が理解し獲得すべき「文化」は、神話では「文化英雄」と呼ばれる存在や、氏族の「始祖」がもたらしたものです。


<成熟儀礼>

多くの神話では「文化(智恵)の獲得」は同時に「死の発生」、「楽園喪失」でもあったと語られます。
合理的な理性や文化の獲得には、永遠性を喪失するという負の面があるわけです。

神話によっては、文化をもたらした英雄が、その後、再度、「不死の獲得」に向けて旅立ちます。
成人後の「成熟の儀礼」の原型をここに見ることができます。

部族によって様々ですが、アボリジニーなどでは、成人の後にも、年齢に沿って何度も「通過儀礼」を行う部族があります。
また、部族内の秘密結社が多数の位階を持ち、位階を昇るごとに「通過儀礼」を行う場合もあります。

「通過儀礼」では、成熟するにつれてより深く潜在意識の智恵を獲得することが求められます。

成熟のプロセスは、心理的に言えば、心の内面に尽きることのない創造力を見出して、人格を成長させることです。
神話的には「若返りの水」「生命の木の実」の獲得などとしても語られます。

シャーマンの「通過儀礼」は、成熟の儀礼のモデルになります。
普通の「成人儀礼」とは異なり、深い自我の解体と霊的知識の獲得が必要とされます。

また、死を前にした人が、死を受け入れ、人生観を新たにし、人格を変容させること(スピリチュアルワーク)は、生前での最後の通過儀礼です。

少年少女を主人公にした童話には「成人儀礼」を元にしたものが多いのですが、老人を主人公にした昔話には成熟を示すものがあります。

昔話では、通常の生活上の判断を否定して利他的な行動をとると、意図せずして富を得るという形になります。
品物を売らずにあげる(笠地蔵)、動物を捕まえずに助けるなどです。

「花咲爺さん」では、犬が何度も意地悪爺さんに殺されながらも、犬→木→臼→灰→桜とメタモルフォーゼを繰り返し、潜在意識や自然の持つ不死なる創造性をこれでもかと示します。
犬が経る死と再生の一回一回が、成熟に向けた通過儀礼のようにも思えます。

ジブリ作品だと、「風の谷のナウシカ」、「もののけ姫」、「ゲド戦記」、「ハウルの動く城」などは「成熟の物語」でしょう。
いずれも、人間の利己的な行為によって、自然=無意識が創造性を失っている状態から物語が始まります。
特に「風の谷のナウシカ」は典型的で、自然=無意識を再生させる偉大なシャーマンになる話です。


<供養>

供養は、主に③のプロセスを歩む死者の「通過儀礼」として行います。
ですが、これを主催し、参加するのは、この世の①②の段階にいる生者です。

供養は、それを行う側の人間にとっても、一種の「通過儀礼」と同様の意味を持ちます。
肉親の供養は、死と対面する機会であり、成長の機会でもあるからです。

また、死者は目指すべき人格モデルでもあり、潜在意識の中の人格でもあり、それとの対話は無意識との対話を通した人格変容でもあります。

「祖霊」や「ホトケ」は古い表現ですが、今風に「心の奥底の声」とか「本当の自分」とで表現することも可能です。
死者との対話の中で、死者の人格は徐々に普遍化していき、それに応じて、生者の人格も普遍化をうながされます。
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2020年11月09日

トーテミズムと先祖信仰

先祖信仰は、その内容に若干の違いはあれども、世界のほとんどの伝統的な文化に見られました。
祖霊の最大の特徴は、個々人の個性を脱した普遍的な霊魂という点です。


<アニミズムとトーテム祖先>

原初的な狩猟文化・部族文化の宗教は、「アニミズム(精霊信仰)」だと言われます。
つまり、人間、動物、植物、さらには、石のような自然物、天体にも、魂が宿っていると考えます。

魂の本質を、非人格的で創造的な「力」であると考える場合は、「マナイズム」などと呼ばれる場合もあります。

何かに宿る、あるいは、何にも宿っていない魂や精霊は、通常は見えません。
ですが、非日常的な時間・意識の状態では、様々な姿で現れて、時には人間のような姿と言葉で語ります。

ですから、原初的な(狩猟)文化では、人間の魂と他の存在の魂(精霊)には本質的な差はないのです。
地上世界での仮の姿が異なるだけです。

現代人は頭ではアニミズムの世界観を信じていませんが、実際は、誰もが無意識的にはアニミズム的な世界を生きています。
様々なものに共感する、擬人的な表現をするという人間的な心情は、アニミズムが基盤になっています。

狩猟文化では、すべての人間、生き物の魂や天体は、地上世界と冥界の間を循環します。
多くの部族では、冥界では人間の魂は、やがて「祖霊(先祖霊)」になります。

「トーテミズム」と呼ばれる信仰を持つ部族社会では、人間の先祖を「トーテム祖先」であると考えます。
「トーテム祖先」は、人間と、動物、あるいは植物、自然物や天体などの魂が融合したような存在です。

ちなみに、現代の進化論も、人間の祖先は、遡るほど人間と他の生物との未分化な存在になります。

トーテムの体系は、一つの部族が共有し、特定の「トーテム祖先」は、部族の中の特定の氏族に固有のものです。
つまり、トーテムは、部族内で氏族を区別する標識です。

例えば、ある氏族のトーテム祖先が「カンガルー」だった場合、その「カンガルー」は、すべての氏族の人間の魂と、カンガルーの魂の元となる根源的魂です。
その分霊が、たまたま地上世界で、仮の姿として、人間として生まれたり、カンガルーとして生まれたりするのです。

トーテムの体系は、結婚制度や食のタブーと強く結びついています。
また、部族によっては、あらゆる存在が、何かのトーテムに分類されます。
つまり、トーテムの体系は、すべての存在を分類する普遍的分類体系、象徴体系なのです。


<祖霊信仰>

新石器時代以降の農耕文化になると、動物とのつながりは薄れ、穀物の生育は人間が管理するようになりました。
おそらく、そのため、人間の魂と他の生き物の魂が、別のものとして区別されるような傾向が生じたのではないでしょうか。

神々や自然の精霊達は必ずしも人間の味方ではありませんが、人間の「祖霊(祖神)」は部族の秩序を守り助けてくれる存在です。

彼らは神の意向を人間に伝えたり、逆に人間の望みを神にとりなしたり、様々な知識を人間に伝授したりします。
また、穀物の豊穣を見守ります。
そして、部族のメンバーを常に監視して、規則を犯した者を罰するとも考えられていました。


<死後と再生>

一般的な先祖信仰では、死後の人間の魂に関して、次のように考えます。

死んだ人間の魂(死霊)は、洞窟や山、川、海などを通って、地下、島、天上などの死者の世界に行きます。
そして、徐々に個性を脱しながら、数十年かかって、集合的な「祖霊(祖神)」に溶け込みます。

アフリカのある部族では、個性を保っている段階の先祖は厳格な性格を持っていて裁く役割を果たし、個性を失った「祖霊」は寛容になって見守ると考えます。

そして、やがて、分霊して、同じ血筋の子孫に生まれ変わります。

ですが、正常ではない魂は、死者の世界に入って「祖霊」になれず、地上を彷徨って死霊のままにとどまり、人間に災いをもたらすと考えられました。
例えば、あまりに悪行を行った人間、恨みを持って死んだ人間、異常な死に方をした人間、若くして死んだ人間、子供を持たずに死んだ人間の魂などです。

また、生まれてまもなく亡くなった場合は、再度、生まれ直すことになります。

また、偉大なシャーマンや英雄的な人間は、個性を残したまま天上などのあの世にとどまり、「祖霊」に溶け込むことも、生まれ変わることもないと考えられました。

死後の人間の魂は徐々に個的な性質を落としていくので、死後の魂、「祖霊(祖神)」には様々なレベルを考えることができます。

・個人的な人格を残した死霊
・氏族としての集合的な祖霊  :氏神、氏族の始祖、トーテム祖先
・部族としての集合的な祖霊  :部族の始祖
・人間全体としての集合的な祖霊:原人間、最初の人間
・生物全体としての集合的な祖霊:至高神の最初の分霊

これはあくまでも理論的に区別できるということであって、各部族がこれらの階層を区別しているということではありません。

「祖霊」は、個的な性質を落とした人間の普遍的で純粋な魂です。
そして、エネルギーに満ちているので、人間とは違った姿をしていて、仮面の姿で現させることも多いようです。

個性を脱した魂というのは、未分化で様々な可能性を秘めている存在ということです。
各氏族のトーテム祖先は特定の特徴を持っていますが、トーテム体系全体を所有する部族の祖先は、そのような個別の特徴は持ちません。


<祖霊と浮遊霊の心理学>

人間の人格は、生まれたばかりの時にはなく、特徴もほとんどありません。
成長し、社会人になるに従って、形成されていきます。

人格は、親/子、男/女、兄弟姉妹、夫/婦、職業…といった様々な性質=ペルソナを鋳型として作られていく側面があります。
その時、潜在意識には、多数のペルソナが作られ、意識はその一方か一部に自己同一化します。

例えば、親と向かい合っている時は子として、子と向かい合っている時は親として、妻と向かいあっている時は夫として、上司と向かい合っている時は部下として、客と向かい合っている時は店員として…などなど、その時々にペルソナを付け替えます。
人間の人格はそのような複数のペルソナの複合体です。

ですが、一人でいる時の人格は、誰かと対している時より、いくぶん透明な、細分化していない特徴の少ない存在になります。
ですが、ユングが主張したように、無意識にはその人の意識にあらわれていない特徴が潜在しています。

無意識全体を考えると、人の魂の特徴は、誰もが多様です。
様々に分化したペルソナ的人格もあれば、未分化な人格的要素もあります。

また、ある人にとっては、付き合いのある他人の人格は、すべて無意識の人格の一つです。
神々や精霊も一種の無意識の人格です。

ですから、通常の人間の意識的な人格は、魂の可能性のごく一部でしかありません。
社会的な制約や意識的な自我の制約をなくすと、通常の人格の多くの部分は、溶けて普遍化していきます。
死後の魂は、そのようにして「祖霊」になっていくと考えられたのでしょう。

死後の魂が普遍化していくと考えることは、宗教や神秘主義、シャーマンなどの修行によって、人格を統合・変容させていくことと似ています。


また、異常な人間の魂が、「祖霊化」せずに浮遊霊となって地上の人間に悪い影響を与えるとする考え方には、心理的には、抑圧や後悔、強いショックなどに関わる、未完了なままに残された心的要素に現れる現象と類似しています。

本来、意識に現れる心的要素は、意識によって何らかの処理、受容が必要なものであって、そういった作業を完了する必要があります。
「祖霊」になっていく死霊は、そのような完了した、あるいは、完了に向かっている心的・人格的要素と似ています。

それに対して、処理されずに抑圧によって無意識に送られた心的要素(コンプレックス)は、時には強迫的に、意識に何度も再帰し続け、心身を脅かしたり、意識の変容を迫ったりします。
強いショックを受けた体験の記憶や、後悔なども、このような心的現象を引き起こします。
こういった未完了な心的要素は、人間に悪影響を与える浮遊霊と似ています。
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2020年11月08日

農耕文化の天地聖婚・穀霊信仰

このページでは、新石器時代以降に生まれた農耕文化の宗教的コスモロジーを、別ページで紹介した狩猟文化のそれと対比してモデル化します。


<天の男神と地の女神の聖婚>

シャーマンに関して対比すれば、狩猟文化が脱魂型の男性シャーマンが中心だったのに対して、農耕文化では憑依型の女性シャーマン(霊媒、巫女)が中心となります。

冥界に行くこと、動物の魂を冥界に送ることは、死に関わるので男性の仕事であり、現世に魂を呼ぶことは、生に関わるので女性の仕事なのです。

そして、狩猟文化の男性シャーマンの相手となる神は、「冥界の女神(原地母神、動物の女主)」であり、農耕文化の女性シャーマンの相手となる神は「天空の男神(太陽神、嵐神)」です。

・狩猟文化:脱魂型男性シャーマン―原地母神(動物の女主)
・農耕文化:憑依型女性シャーマン―天空男神(太陽神・嵐神)

狩猟文化では、「祖霊」が動物の再生や豊猟に関わることはあまりありませんでした。
ですが、農耕は、人工的に作られた田畑を人間が管理します。
おおらくそのためか、農耕文化では「祖霊」が穀物の生育を見守ります。

ですが、必要な自然の力もあって、主なものは、太陽の光・熱と、水です。
そのため、最も重要な豊穣神は、太陽神や嵐神(雷神、雨神)のような天空神です。
どんな神が重視されるかは地域によって特性があります。

雷神、雨神は、狩猟文化では月神の働きのような存在でしたが、農耕文化では月神より太陽神の重要性が上がったためか、雷神、雨神と月神との関係は薄れたようです。

そして、穀物の豊穣のためには、これら「天の豊穣神」と、「地の豊穣神(地母神、田畑の女神)が結びつくこと、つまり、「天地の聖婚」が必要となります。

そのため、太陽光や雨、稲妻が、精液や男根に譬えられるようになりました。
また、狩猟文化では地母神と傷つける行為としてタブー視される大地の耕作にも、「聖婚」の観念が生まれ、鍬が男根に譬えることになりました。

狩猟文化の「原地母神」が、息子(=男根)を自身の一部として含む両性具有的存在だったのとは違って、農耕文化の「地母神」は単性の女(母)性神です。
そして、「天神」も単性の男(父)性神であり、男神は「父性原理」として「原地母神」から独立したのです。

また、女性シャーマンは、天空男神の神霊を憑依させると共に、それと聖婚し、その御子神を生んで、出産(ミアレ)します。

一方、農業文化を基にした王国では、王が天空男神の子、あるいは、子孫、化身と見なされて、神として、死と再生や聖婚の儀礼を演じました。

「天地の聖婚」の観念は、天空と地上・地下の分離を意味します。
狩猟文化では、重要性の乏しかった天上、天神が、農耕文化では重要な存在となり、その分、地下の冥界の重要性が減りました。


<季節循環の神話・儀礼>

穀物の育成の管理が必要な農耕文化では、狩猟文化よりも、季節循環の儀礼や神話が重要となりました。

季節循環は、「天の豊饒神」が「不毛神(冬や乾季の神)」や「冥界神」と戦って死んで冥界に落ちたり(バアル、マルドゥク、ホルス神話など)、「穀物神」やその「息子・娘」が「冥界神」によって連れ去られて(デルメル・ペルセポネー神話など)、これらを復活させたり連れ戻すといった形で表現されました。

季節循環は、次のような神話として表現されました。

「天の豊饒神」が「不毛神(冬や乾季の神)」や「冥界神」と戦って死んで冥界に落ちて、豊穣女神に助けられるなどして復活する。(バアル、マルドゥク、ホルス神話など)
「穀物神」やその「息子・娘」が「冥界神」によって連れ去られて、豊穣女神に助けられるなどして地上に戻る。(デルメル・ペルセポネー神話など)

また、豊穣女神は、荒ぶる存在となって不毛神と戦うこともありました。
ですが場合によっては、狂気に落ちて天神や穀物神を殺す存在にもなりました。
ここには、狩猟文化以来の「原地母神」=「冥界母神」として側面が変形されて現れているのでしょう。

天と地下の分離と平行して、善と悪の分離も進みました。
冥界は、豊饒や再生よりも、死や病気をもたらす存在として、悪という性質が強くなりました。
つまり、生命の循環の意味が少し変わって、冥界に行くことは、狩猟文化のような「帰還」や「再生」ではなく、悪に屈するという意味を持つようになりました。


<山の神と聖樹>

麦の畑作や水稲農業の文化の前に、山間部などでの焼畑農業や、イモなど根菜類の栽培農業の文化がありました。

焼畑、根菜農業では、豊穣女神の遺体からの穀物の誕生(ハイヌヴェレ、オオゲツヒメ型神話)や、地母神の火による死(イナザミ)と再生という神話が生まれました。

狩猟文化では、豊穣神である「原地母神」は、「山の神」でもありました。
焼畑農業では、山間の聖地と農地の間を豊穣女神が循環・来去するという観念が生まれました。
また、伐採された焼畑の農地には大きな樹が残され、そこに女神が宿るとされました。

この豊穣女神の循環の観念は、その後、里にある畑や水田にも持ち込まれ、「山の神」が「畑の神」、「田の神」として循環・来去すると考えられるようになりました。

そして、山から切り出された樹が、家、田畑に祀られました(若木迎え、門松、メイポール、クリスマスツリー)。


ですが、田には水が山から流れてきますが、畑は天水なので、「畑の豊穣男神」が天から直接、昇降すると考える場合もあります。

また、日本では、「天の豊穣神」の中でも、雷神は、山に降りて「山の豊穣男神」になることがあります。
狩猟文化では、雷神は月神の蛇体の化身であって、女性と交わる男性神でしたので、農業文化でもこれが継承されています。

ですが、男女の「山の神」が習合することで、性別が不明確になります。


年周期で来去する豊穣神は、春には若い神として来て、秋には老いた神として去ると考えられました。
上に書いたように、巫女が豊穣男神と聖婚して御子神(若宮)を生むと考える場合もあります。

日本では、「山の女神」は、新年に里に降りて、まず、「家の神(竈神)」になり、田に導かれて「田畑の神」になりました。


<穀霊のライフサイクル>

狩猟文化での「動物の魂」に対応するのは、農耕文化においては穀物の魂である「穀霊」です。

穀物は一般の植物とは異なった特別の存在で、食物の女神の遺体から生まれたり、その種が英雄(シャーマン)や鳥によって天上からもたらされたりしたものと考えられました。

狩猟文化では、動物が地上と冥界の「原地母神」の元を循環・来去したように、農耕文化では、「穀霊」が年周期で循環します。
この「穀霊」の再生と共に、宇宙も年周期で更新されるのです。

穀物のライフサイクルは、人間のライフサイクルと同様のものとして、対応して考えられました。

つまり、米や麦が育って穂が実ることは穀母になって受胎・妊娠すること、脱穀することは出産すること、苅取りは死ぬことです。
そして、種を倉庫に保管したり大地に巻いたりすることは、穀童が冥界に落ちること、発芽することは再生することです。


<農耕儀礼>

「天地の聖婚」や「穀霊」のライフサイクルなどの観念に従って、様々な農耕儀礼が行われます。

狩猟文化の流れを引く男性シャーマンがいる場合は、天上や冥界にトリップして種を盗み出したり、悪霊に盗まれた種を取り返したりする儀礼が行われることもあります。

男性秘密結社のメンバーが、村を訪れる「祖霊」に扮して、「穀霊」や「穀物の種」をもたらす場合もあります。
先に書いたように、「祖霊」は、穀物の生育も見守ります。

新年には、実際の農作業に先立って、農作業を模した「予祝儀礼」が行われます。
狩猟文化の影響からか、「儀礼的狩猟」が行われる場合もあります。

水稲農業の田植えは、おそらく、人間で言えば成人に相当する段階です。
日本では、田植えは、早乙女と呼ばれる女性が担当しますが、雷神を誘惑して稲妻と雨を田に導きます。
これは、雷神と田の女神(稲の穀母)との聖婚です。

収穫時には、「初穂儀礼」と「刈り入れ儀礼」が行われます。

東南アジアや沖縄では、脱穀前の初穂と農婦が添い寝をして、出産を模した儀礼を行いました。
そして、初穂を豊穣神に捧げて(穂掛儀礼)、穀物を神と「共食(新嘗祭)」することが重要な儀式になりました。

ヨーロッパでは、乱痴気騒ぎ的な儀礼や、農夫婦が畑で聖婚を演じる儀礼、麦の花嫁と花婿を結婚させる儀礼などが行われます。
また、収穫の後の麦(「婆さん」などと呼ばれます、麦穂から人形を作る場合もあります)を焼いて、その灰を田畑にまくという、死と再生の豊饒儀礼を行います。

<穀霊の秘儀>

農耕文化では、「穀霊」を、人間の魂の原型であり、特に新しく実った復活した「穀霊」が、純粋で生命力溢れる純粋な魂であるとして、信仰の重要な対象になりました。

具体的には、特に、最初に収穫された初穂、地域によっては最後に収穫された穂が神聖視されました。
そして、その穂が「家の守り神」として祀られました。

穂から脱穀された「籾」は出産された嬰児であり、精米された「白米」は「穀霊」と見なされたのでしょう。

狩猟文化の宗教の本質は、原地母神の創造性と一体化することですが、農耕文化の宗教の本質は、再生した穀霊としての純粋な霊魂と一体化することなのです。
posted by morfo3 at 10:11| Comment(0) | 伝統文化のコスモロジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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