2020年11月19日

世界で最も美しい祈りの言葉(ラコタ族)

ラコタ族の酋長イエロー・ラークによる、非常に美しい祈りの言葉(訳・北山耕平)です。


◇◇◇◇

おお、偉大なる精霊よ
その声をわたしは風のなかに聞き
その息は世界にいのちを与えます
お聞きください

わたしは小さくて弱く
あなたの力と知恵とを求めています
願わくはこのわたしを
美のなかに歩ませたまえ

どうかわたしの目に
赤と紫の夕日をお見せください
どうかわたしの手が
あなたの作られたものを
さげすむことのないように
また、わたしの耳が
その声を聞き漏らすことのないように
おはからいください

あなたがあなたの子どもたちに教えられたこと
あなたがすべての葉や岩に書き込まれた教訓
それらを理解できるように
どうかわたしを賢くしてください

兄弟たちをけ落とすためにではなく
自分の最強の敵であるおのれと戦うために
どうかわたしを強くしてください

沈みゆく太陽のように
わたしのいのちが消えゆくとき
いささかも恥じ入ることなく
わたしのスピリットがあなたのところへおもむけるように
曇りのない目とともにあなたのもとを訪れる準備を
どうかととのえさせてください

◇◇◇◇


自然の中にある神性を読み取ってそれに従って生きることは、多くの宗教、神秘主義思想の基本的な考え方だと思いますが、それを素朴で、力強い形で表現しています。
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2020年11月17日

アボリジニのコスモロジーと高位イニシエーション

オーストラリアの原住民のアボリジニは、世界でも最も古い文化を残してきた人々の一つです。

アボリジニの社会は、男性も女性も多段階のイニシエーションを備えていて、「ドリーミタイム」と呼ばれる霊的次元に深く同調するように、生涯をかけてその成長を目指します。

アボリジニの文化は人類の原型的な文化ですが、精神的な側面では完成された文化でしょう。


<トーテム先祖の創世神話>

アボリジニの文化は、トーテミズムの特徴を持っています。

「トーテム先祖」は、特定の氏族の先祖であり、特定の動物や植物、天体、自然などの先祖でもあり、両者の魂がそこに帰り、そこから生まれる存在です。
「トーテム先祖」は、神話の時代に人間の姿になったり、動物の姿になったりしましたが、その性質は、人間には内面に、動物には外面に与えられます。

ただ、アボリジニには、この氏族のトーテム以外にも、性別(母系半族、父系半族)に関わるトーテムと、「パワー・アニマル(守護霊)」としての個人のトーテムがあります。

また、アボリジニにおいては、トーテムは、人間を動物だけでなく、土地と強く結びついています。
アボリジニの神話では、「トーテム先祖」のは、多くは地下から現れて(一部は天から)、長い旅をし、地形を作り、聖地を作り、名づけを行い、法(タブー)と儀礼をもたらしました。

そして、人間と動物を生み、また、「霊的子供」を生みました。
「霊的子供」は、水場などにいて、近くを訪れた女性の中に直接入ったり、男性が狩る動物の中に入って食されることで女性の中に入ったりして、人間の赤ん坊として生まれます。

「トーテム先祖」が旅した道は、「ソングライン」とも呼ばれ、これに沿って歩いて狩りを行います。
また、この道は交易のネットワークにもなりました。

聖地を多くは、井戸や泉などの水場であり、そこは人間が生まれ、死者が一旦戻って行く場所です。
また、聖地は、動・植物を殺さないタブーの場所でもあります。


アランダ族の神話では、原初に、水溜りに胎児のような原人間達が、つながった状態で存在しました。
また、「トーテム先祖」が大地の下で眠っていました。

「ドリームタイム」が始まると、この原人間は、大地から生まれて、放浪して大地を形作りました。
そして、「トーテム先祖」がこの原人間を引き離して、口・目・鼻を開けました。
こうして人間が誕生しましたが、最初の人間達は文化を作って英雄になりました。
また、「トーテム先祖」は、その歩んだところどころに「霊的子供」を残しました。

「トーテム先祖」は地下へ帰りましたが、彼らが地上で誕生した地と帰還した地は、祭儀の場所となりました。
アボリジニが持っている「チュリンガ」という祭儀は、この「トーテム祖先」の通った道や宿の場所が表現されています。

別の「トーテム先祖」の神話では、眠っている「トーテム先祖」の体にトーテム動物達が入ったり、体からトーテム動物達が生まれたりします。
そして、人間は、「トーテム先祖」の脇の下から生まれます。
また、「トーテム先祖」が「チュリンガ」になり、その中に「霊的子供」がいます。


このように、「トーテム先祖」は、各氏族にとっての霊魂、文化、大地の環境の創造力そのものであり、その原型的存在です。


<虹蛇>

北部、中央部など各地の諸部族は、様々な名前で呼ばれる「虹蛇」を信仰しています。
「虹蛇」は、生命を与える水の化身であり、創造と豊穣、霊魂の根源的存在です。

「虹蛇」は、両性具有的存在ですが、その外的形態は男性(男根)であり、内部は女性であるとも考えられています。
また、水晶との対比した場合には女性原理とされます。

「虹蛇」は、大地と宇宙のエネルギーであり、池の底に住み、大地と天空を結びます。
「ドリームタイム」には、雨を司って、洪水をもたらしました。

クンウィンジク族の神話によれば、原初の創造的存在である「インガルナ」が「虹蛇」を生み、「虹蛇」が万物を生みました。

ある部族の神話では、「虹蛇」から生まれた口のない原人間が、大地を作り、「霊的子供」を残して、「虹蛇」に戻りました。
また、ある部族の神話では、「虹蛇」が、大地を作り、魚を作り、精霊達を生みました。

部族によっては、「虹蛇」は、成人イニシエーションで、人を飲み込み、吐き出します。
部族によっては、儀礼やうなり板などをもたらした存在でもあります。

ちなみに、アボリジニは、人間のヘソの奥に「虹蛇」が眠っていて、額からその力を放つと「強力な眼」と呼ばれます。
この肉体内の「虹蛇」は、インドのクンダリニーと同じでしょう。
アボリジニ文化には、南インドとのつながりがあります。


<宇宙像と死生観>

アボリジニの至高の神々は、東部などでは、「天空の勇者たち」、「万物の父」などと呼ばれる存在です。
天空は石英に満ち、この「天空の父」の口にも石英が満ちています。

アランダ族の神話によれば、この神は「偉大な父(クンガリチャ)」と呼ばれます。
この神は至高神的存在ですが、人間に無関心、地上や文化などの創造とほとんど無関係な存在です。
ですが、部族によっては、「天空の父」が地形や人間を作ったとする場合もあります。

一方、北部などの諸部族では、「多産なる母」、「万物の母」などと呼ばれる存在の信仰があります。

アボリジニは、「割れ目のある水晶(虹が生じる水晶)」が創造の起原となる存在であると考えます。
これは「天空にある水晶の玉座」とも表現されます。

その「透明な水晶」の部分は、「万物の父」です。
それから生まれる「虹」は、「万物の母」であり、「虹蛇」であり、諸々の先祖を生む存在であす。

・天空の父:水晶
・万物の母:虹

アボリジニの世界観によれば、3つの世界があります。
そして、人間の魂は、それぞれに対応する3つの部分からなります。

・死者の世界        :天空  :男性原理
・まだ生まれていない者の世界:水溜り等:男性原理
・生者と死につつある者の世界:地上  :女性原理

「死者の国」は、天上の星団(天空の水溜り)にあります。
死者は、「霊的なカヌー」に乗って、「死者の島」を経て、「死者の国」に至ります。
人間の魂の循環は、水の循環(天・雨・水場)と重ねられます。

「男性原理」は、「死の原理」であり、肉体では「精子」に象徴されます。
後述するように、長老は、多段階のイニシエーションを経て、天空の世界に一体化していきます。


<ドリームタイムとドリーミング>

アボリジニは、神話的時代を「ドリームタイム」と呼びます。
「原初の時」、「昔々」という意味ですが、「物語」という意味もあります。

ですが、「ドリームタイム」は、現在でも存在して働いているので、「あの世(根の国)」といった意味合いもあります。
また、それが地上に現れることも意味します。

「ドリームタイム」とほとんど類似した言葉に「ドリーミング」があります。
「ドリーミング」は、そこにいる「トーテム先祖」を意味します。
また、「トーテム先祖」が生んだ「霊的子供」は、「受胎ドリーミング」と呼ばれます。

さらには、「ドリーミング」は、これらに関する信仰をも意味します。

ただ、「ドリームタイム」はオーストラリアの人類学者の翻訳であって、原語では、例えば、有名なアランダ族の場合は「アルチェリンガ」です。


「ドリームタイム」は、地上世界(日常の認識世界)を作っている基盤となる世界です。
地上の形態を形成する創造力であり、その原型です。

「ドリームタイム」の世界は、大地の中に種や根があるようなイメージで捉えることができます。
この「種」は、一種の「イデア」、「元型」のような存在です。
これはワルビリ族の言葉では、「グルワリ(トーテムデザイン)」と呼ばれます。

「ドリームタイム」から地上世界が生まれることは、内的・心的・潜在的なものが、外的・物質的・具体的なものになるという創造のプロセスです。

あるアボリジニは、白人に対して、人間や動物は「ドリームタイム」の「トーテム先祖」の写真(つまり、写像)なのだと、説明しました。

アボリジニの「ドリームタイム」と地上の関係は、日本語の「根の国(常世)」と「現世(ウツシヨ」の関係と同じです。


アボリジニは、日常で現実のカンガルーを見ている時も、常にその背後にある、カンガルーを形作っている潜在的な力である「ドリームタイム」のカンガルーを感じています。

これはプロセス指向心理学が言う「24時間の明晰夢」と似ています。
意識的な言葉やイメージの背景にある、直観的、フィーリング的なものに注意をしているのでしょう。


<高位イニシエーション>

アボリジニの社会では、男性も女性も、死ぬまで多数のイニシエーションを行います。
ある部族の男性には、十数段階のイニシエーションがあって、それらを通過することで高位の長老になります。

擬死を体験するイニシエーションを体験するごとに、「死」の世界、つまり、「ドリームタイム」の世界、潜在意識の世界に、自己の意識を深めていくのです。


最初の成人イニシエーションでは、夢を見ながらそれを自覚する覚醒夢の見方や、ダンスによってトランス状態に入ることも学びます。

男性は、成人のイニシエーションでは、世界の他の地域でも見られるように、男性器の包皮切開を行います。
ですが、これに続くイニシエーションでは、尿道切開を行う場合があります。
これは、女性のように小便を放つようになるため、つまり、両性具有的存在になるためのものです。

また、イニシエーションで、他にも肉体を傷つけることがありますが、これは、「ドリームタイム」のエネルギーの象徴であり、先祖とのつながりの証となります。

女性の成人イニシエーションでは、水の中に沈められる体験をします。
これは世界の他の地域でも見られるもので、浄化の儀礼とも考えられますが、ひょっとしたら、アボリジニにおいては「虹蛇」や「霊的子供」と関係するのかもしれません。

成人した女性には、体を赤く塗ったり、白い三日月を描いたりすることもあります。
これは、月経を月から受ける存在になったことを示します。


アボリジニの社会では、先祖とのコミュニケーションは、高位の長老が担います。
高位イニシエーションは、天空の英雄とトーテム先祖が司ります。

高位イニシエーションは、天空、地上、地下の3つの領域を自由に往来できることを目指します。

高位の長老になることは、天空のエネルギーと一体になることです。
死に臨んだ長老は、青空を眺めて、そこに見える光の粒子と一体化する瞑想を行います。

アボリジニでは、死者が生前にどの位階まで進んだかによって、その人間の埋葬法が変わります。

高位イニシエーションでは、水晶を体に埋め込まれたり、後頭部から脳中枢に槍を突き刺されたりといった体験をすることがあります。
実際に、例えば舌に水晶を埋め込む場合もあります。

高位の長老は、トランス状態で、糸が絡み合ってできた網と、そこに夢やビジョンがぶら下がっているのを見ます。
ですが、恐れがあると、それらが見えなくなります。
また、アボリジニが、狩猟民から牧畜民に変化すると、やはり霊視の力を失うそうです。
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2020年11月16日

狩猟文化と農耕文化の思想の本質的違い

伝統的な狩猟文化は、あるがままの自然の創造性を尊重し、その恩恵を正しく受容しようとする思想を持っています。
あるがままの自然とは、自然(冥界)の贈物としての食料となる動物です。
これは、心の内側においては、潜在意識(冥界)から現れる心の動きの受容として現れます。

この思想は、高等シャーマニズムや、タオイズム、ゾクチェンなどの東洋思想、フォーカシングやプロセス指向心理学のような現代心理学にまで受け継がれています。
これらは、意識に現れるあるがままの心の動きを自覚して受容し、それが引き起こす変化を「なるがまま」に展開します。

一方の、農耕文化は、自然の存在を管理することを重視する思想を持っています。
自然の管理とは、山林を切り開いて作った田畑を管理することです。
これは、心の内側においては、無意識を含めた心の動きの、言葉や合理による管理として現れます

この思想は、主要な宗教、哲学、科学、精神分析学などに受け継がれています。
これらは、欲望を制限、抑圧し、雑念を払い、意識的な自我の管理を重視します。

一つの文化の中で、その生産形態、宗教形態、心理の形態は、類似します。
それらの形態を関連づけながら、狩猟文化と農耕文化を対比して、その本質を抽象的に捉えてみましょう。


<狩りの倫理>

伝統的な狩猟文化では、自然の創造性の象徴とでもいうべき「動物の女主」が、獲物となる動物を贈ってきます。
ですが、人間が正しい生活、特に正しい狩り、食事、葬送のタブーを守り、動物を満足させないと、「動物の女主」は動物を送ってくれなくなると考えます。

多くの部族では、本来、狩りは、彼らが対等と思う立場で行うべきもので、強すぎる武器を使ってはいけないと考えていました。

ある部族では、狩人は、狩りの成功を夢で見てから、見た夢に従って行います。
これは占い的な意味ではなくて、狩りは利己的な判断で行うべきものではないという考え方があるのでしょう。

ある部族では、獲物を狩る前後に、動物になり切ってダンスをし、その獲物の生涯を、生を賛美し、その動物の生を拡張するような意味を持つ儀礼を行います。
つまり、動物という自然の存在を尊重することが、狩りの前提なのです。

このように、狩猟文化では、自然を尊重し、人間中心では考えません。
これは、無意識を尊重し、意識や自我を中心に考えないことにつながります。


<農耕の論理>

狩猟文化では、山林を切り開いたり、大地を耕したりすることは、地母神を傷つけることであり、決して許されない行為です。

それに対して、農業文化は、森を切り開くという自然破壊から始まります。
原初において女神(自然の創造性)を殺害することで穀物が生またとする神話が世界で広く伝えられていますが、こういった神話には、農業が自然破壊から始まることが反映しています。

狩猟文化では、創造を行う(動物を生み育てる)のは、あの世の「動物の女主」です。
ですが、農耕文化では、創造を行う(穀物を生み育てる)のは、この世の人間であり、里にある田畑です。
もちろん、太陽や水などの自然の力は必要ですが、田畑は、様々な植物、動物、昆虫を追い出して作られ、特定の穀物や野菜を育てるように人の手で管理します。

このように、農耕文化では、人工的な作業によって自然を管理、排除することが重視されます。
これは、意識や自我が、無意識を管理、排除する考えにつながります。


<動物の狩りと潜在意識の気付き>

ネイティブ・アメリカンのシャーマニズム(高等シャーマニズム)では、「狩り」が、目指すべき心のあり方を象徴として使われます。

狩りを行う時には、合理的な推論によって動物を探して近づくとしても、最終的に動物に出会って狩るためには、合理的な意識を手放して、自然の中に、直観の中に溶け込まなければ成功しません。

また、狩りの場(山中)では日常的な言葉を話さないなど、日常的なものを持ち込まないタブーがあります。

つまり、狩人は、里から森の中に入る時、意識から無意識の領域へと入っていくのです。
動物が森の中から現れることは、無意識的な心の動きが現れることと似ています。

ですから、シャーマンの伝統では、意識と無意識の間に現れる心の微妙な動きに気づいて、それを受け止めることを、象徴的に「狩り」と表現するのです。

例えば、プロセス指向心理学では、心に一瞬だけよぎるものを「フラート」、フォーカシング指向心理療法では、漠然とした感覚を「フェルトセンス」と呼びます。
これらに気づいてそれを展開することは、シャーマンの伝統が言う「狩り」と似ています。

狩猟文化では、「森」の中から現れる「動物」は、人間のために「冥界」にいる「動物の女主」が送ってくれる存在です。
これと同様に、「無意識と意識の境界」から現れる「心の要素」は、人間の心の成長のために、「無意識」の「大きな自己(ハイヤーセルフ)」が送ってくれるものだと考えられます。

そして、日常的な言葉や合理的な知性を捨てて狩りに臨むことは、自我のコントロールを放棄して無意識的な心の動きを見つけようとすることと同じです。

狩りの時に行う、動物の生を尊重し拡張する儀礼は、無意識から自然に生まれるものを尊重し、育てることと同じです。

また、動物を残さずに食べ、魂を送り返して再生を願うことは、無意識から現れたものを十分に受け止めることで、次なる成長のために無意識から新しいメッセージを送ってもらうことと似ています。

逆に、無意識から現れる心の動きを抑圧すると、それは強迫的に何度も意識に再帰して、意識に否定的な力を及ぼします。
これは、報われない死を遂げた人間や動物の霊が、あの世に成仏せずに怨霊として共同体に悪い影響を与えると考えられることと似ています。


<ドリームタイムとのつながり>

古い狩猟文化を残しているアボリジニの世界観では、すべての地上の人や動物などの存在は、より根源的で生む力に満ちた「ドリームタイム」と呼ばれる始原の時に、地下世界から生まれ、今でもそこの存在とつながっています。

「ドリームタイム」の存在は、大地の中の「種」や「根」のような存在で、それが地上の「草木」に成長するのです。

「ドリームタイム」の創造力は、自然の内奥にあるだけではなくて、心の深層にもあります。
地上の事物は、心理的には日常的な言葉やイメージに対応します。

アボリジニが、日常の存在の背後に「ドリームタイム」の創造力を見ているということは、言葉やイメージが形ある存在になる以前の、無意識の中にあるその力や運動性に気づき、それらを重視しているということです。

日常的な言葉やイメージを中心に世界を見るのではなく、その深層の象徴性やイメージの変容に現れる、無意識からのメッセージを重視して読み取っているのでしょう。


<農耕のウツなる場への意図的な呼び込み>

狩猟文化のシャーマンや狩人は、冥界や森のような無意識的な領域に行ったり、自然にやってくるものを受容したりします。
これに対して、農耕文化のシャーマンや農夫・農婦は、自然な創造力を意識の領域に呼び込みます。

農耕文化のシャーマン(巫女、霊媒)は、豊穣神を憑依させ、御子神を生みます。
農夫・農婦は、里にある人工的に管理された田畑で穀物などを育てます。
また、先祖霊が穀物の成長を見守ります。

つまり、農耕文化では、神霊の力を人工的な領域に呼び込み、そこで育てます。
創造は、意識的で人間的なものの媒介が必要なのです。

狩猟文化では、力を感じるような自然の場所そのものが聖域です。
一方、農耕文化は、人工的な場所に外から創造性を取り入れるために祭祀の施設が作られます。

日本の神道に特徴的なことですが、神を招く祭祀場は、何もない空間を囲った聖域です。
あるいは、そこに特定の神が宿る依代を置きます。

神を憑依させる巫女も、心身を清浄に、無心にして、神だけを念じます。

これらは動・植物を追い払って穀物だけを作る田畑と似ています。

つまり、自然に現れるものを受け入れるのではなく、まず、すべてを否定して人工的な無の状態の場所、意識を作り、そこに特定の存在を呼び込むのです。
そして、この力が人間の世界、穀物に力を与えます。


<狩猟・農耕文化と宗教と心理学>

一般に、「男性」と「天上」は「意識的原理」の象徴で、「女性」と「地下」は「無意識的原理」の象徴です。

狩猟文化は、地下冥界と「動物の女主」を尊重し、男性シャーマンが自身を供犠にすることがあります。

それに対して、農耕文化は、太陽神や嵐神などの天上男性神を尊重し、女性を供犠にすることもあります。

また、狩猟文化では、冥界は地上の創造の基盤であり、冥界に戻ることは母のもとに戻ること、つまり、「死」とは「再生」のことです。

ですが、農耕文化では、冥界や冥界神は、天空神を弱体化したり、穀童を誘拐したりするような、悪い価値を帯びた場所です。

以上のように、狩猟文化が無意識的原理を重視し、農耕文化が意識的原理を重視しています。


無意識的から現れる心に注意を払ってそれを展開するプロセス指向心理学やフォーカシング指向心理学は、狩猟文化に由来するのでしょう。

これに対して、精神分析学は、合理的な強い自我に無意識を統合してコントロールすることを目指します。
これは、農耕文化に由来するのでしょう。

また、意識的な計らいを捨てて、あるがままの心の動きを尊重する瞑想は、自然の森に現れる動物を狩ることと似ているので、これらを行う宗教は、狩猟文化に由来するのでしょう。
タオイズムやゾクチェンのような宗教です

これに対して、雑念を払ったり、何かに集中したりする瞑想は、田畑で特定の食物だけを育てることと似ているので、これらを行う宗教は、農耕文化に由来するのでしょう。


<デュルの狩猟文化礼賛>

最後に狩猟文化を礼賛している学者を紹介します。

哲学的人類学者のハンス・ピーター・デュルは、その著作「再生の女神セドナ」で、狩猟文化を礼賛しています。

この書の中で、デュルは、アルカイックな狩猟文化の人間は、理性の彼方にあるものに対して理性的な関係を持っていたと書いています。
そして、彼らは、(今の地上の)生を愛し、自分が生きる世界と自分が一致していたのだと。

彼らは、自然が生みの苦しみにある時、産婆役のように手助けをした、とも書いています。

ところが、新石器革命以来、「彼岸の生」や「未来の生」に価値を置く「超越イデオロギー」と、「世界呪詛のイデオロギー(死のイデオロギー)」が生まれたと言います。

それらは、インドの農民の宗教と、イスラエルの遊牧民の宗教に代表されます。
仏教もキリスト教も、こういった現世否定のニヒリズムの思想なのです。

彼の主張していることは、非常に大雑把ですが、基本的には本質を付いていると思います。
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